良縁-その先の人生を見つめて

第6章 三十五年の歴史の重み ― 父、宮原嘉寿のこと

旅行好きから生まれた「グリーン車コース」

※現在「グリーン車コース」はありません。

大卒の男性を希望する女性のための「グリーン車コース」は、無類の旅行好きだった父が新幹線からヒントを得て作ったものです。「結婚という目的地に着くのが早くなるわけではない。時間は同じだけど、ただ着くまでのシートのサイズが違うだけなんだ」とよく言っていました。
父は大阪や名古屋で会議があるときには、私や兄を伴って行くことも多かったのですが、そのときには必ず「横に座るな、後ろに座れ」と言って私たちを横に座らせませんでした。隣に知らない人が座って、その人と話すのが楽しみなのです。横に人が座るとすぐに名刺を出してあいさつし、到着するまでその方との会話を楽しんでいました。
海外にも身軽に一人で行くことも多く、私に社長職を譲って会長になってからは「姿が見えないな」と思っていると、「今、中国にいる」と突然電話をかけてきて驚いたこともたびたびあります。戦時中は大連にいましたから、片言の中国語だけで会話を通じさせていたようです。しかも、海外へ旅行するときもいっさい宿泊先の予約を入れず、着いてから自分で交渉して気が向いたホテルに泊まっていました。「大丈夫、大丈夫」と言うのですが、あまりにも連絡がなく、そのままどこかで野垂れ死にしているんじゃないかと思ったことは、一度や二度ではありません。予定を決めずに気ままにあちこちを歩き回るのが好きだったのです。
国内もひんぱんに旅行していましたから、すぐにどこかに行けるよう、駅に近い立地に住むことを好みました。しかも「鍵一つで戸締まりできる」ということで、マンションが好きでした。ですから父の時代には、東京・大井町からすぐのマンション五部屋を連合会の総本部としていました。会員さんにしてみれば訪れた場所はマンションの一室にすぎませんから、本部に見えず「ここがほんとうに総本部なんですか?」とよく聞かれたものです。父はクリーニング業を経営していたときに、たくさんの不動産を持っていたものの、事業を整理するときに全部売ってしまっていた経験から、「あんなもの(不動産)は持っていても仕方ないよ」とよく言っていたものです。
晩年、足を患っていた父のために、マンションの一室を父の部屋とし、本部まで自分の足ですぐ行けるようにしていたのですが、父が亡くなった年に、言座の建物を取引先の銀行が譲ってくださることになり、全面的にリニューアルして、総本部は平成十二年末に引っ越しました。

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